作業者と担当者の違いは「なぜならば」
とあるコンサル会社で仕事してます。
このブログではその日々のデリバリーの中から、学び得たことを書き留めていきます。
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今回は、言われたことをただ実行しモノをつくる作業者と
PJへの成功に向けてすべきことを推し進める担当者を分けるものは何か、について。
作業者と担当者を分ける要素はいろいろあと思うが、
その1つに、「なぜならば」が語れるかどうかがあると思う。
レベル感は資料の内容から打ち合わせの位置づけまで様々で、
「なぜこの色の配置にしたのか」
→「なぜならば自社と競合の差を強調するため」
「なぜ収集した情報をこの形で整理したのか?」
→「なぜならば意思決定の基準としてXXとXXがあると思うから」
「なぜお客さんに○○をヒアリングするのか?」
→「なぜならば後続の費用対効果の算出で○○がコスト要因になりうるから」
「なぜ打ち合わせで顧客からでたこの意見を最終案として入れなかったのか」
→「なぜならばこの議論の論点はXXであり、該当する要素でないと判断したため」
このなぜならばがないと、
「言われたから」「そう書いてあったから」「なんとなく」になってしまう。
それは自分で考えたことではなく、誰かが言ったことをやる=作業者に陥ることになる。
担う役割や立場が変われば、「なぜならば」を説明できる範囲やレベルも変わってくる。
PMであれば
・なぜこのプロジェクトが必要なのか
・なぜこのアプローチなのか
・なぜこの打ち合わせ数・スケジュールでできると思うのかで
あるし、
メンバーなら
・なぜこの打ち合わせで顧客にこれを決めてもらう必要があるのか
・なぜここではココまでのヒアリングで良いのか
・なぜこの資料の流れなのか
・なぜこの資料と内容で意思決定できると考えるのか
などが「なぜならば」と回答すべき問いになる。
「なぜならば」を自分の頭で考え、作業者から脱しているだろうか?