コンサルタントの日々学び

日々のデリバリーで得た体験、ノウハウ、教訓とかを週次ベースで書き留めていきます。

「どうですか」コンサルタントに価値はない、あるいは「Where」と迷いの重要性

事前に資料をつくりこみ、それをレビューや承認をもらう場で、なぜか発言がでずにシーンとなる。
もしくはお茶を濁したような発言がされ、本来確認してもらいたかったことにフォーカスされずに終わってしまう。
そんな経験ないだろうか?

「前回挙がった課題に対する対策を考えてきた!確認もらって実行に移そう」
「実行計画をつくってきたので確認してもらおう」
と意気込んでもっていくものの、「うーん、そうだねぇ…」とハギレの悪い回答しかでてこない。

 

このときに、「どうですか」というワードでレビューや確認を依頼していないだろうか?
この「どうですか」の問い、コンサルタントファシリテーターも使う人が多いが、この発言には価値がない。せっかっく資料やたたき台をつくっても、「どうですか」コンサルタントとして臨むと資料も場も有効に活かせない。

なぜか。
それは「どうですか」と問われた相手は何を回答したらいいかわからないからだ。
「どうですかって言われても体裁を見ればいいの?中身を見ればいいの?」
「計画としてタスクの漏れを見ればいいの?実現性を見ればいいの?」
と問われた側は迷ってしまう。

「どうですか」という問いは発言・依頼する側としては楽だ。だが、それは相手にいろんなことを投げて、さぼっているとも言える。

 

「対策について、これで課題を解消できるか見てほしい」
「対策は挙がったが、リソース含め承認・協力依頼できる資料になっているか見てほしい」
この2つではレビュワーの観点が全然違う。
「課題を解消できるかなら、この課題に対しては別の策があると思う」
「協力依頼するなら目的と負荷をしっかり説明できるように補強したほうがいい」
とレビュワーの回答も変わる。

 

「実行計画としてリソースと実現性が妥当か見てほしい」
「実行計画として気にすべきマイルストーンや制約と整合とれいているか見てほしい」
この観点の違いでもレビュワーの回答は大きく変わる。
「あまりに同時並行が多いのでリソース的にきついだろう、ここを見直そう」
「経営報告がこのタイミングにあるから、このタスクは先行した方がいい」

 

レビューや確認を依頼する際には「どこを見てほしいのか」を明らかにした上で臨もう。資料を作り込んで終わりではない、何を見てほしいかまで考えて準備が完了だ。
そうすると意図した回答が得られたり、有効なフィードバックをもらうことができる。

 

ただ、いきなり「どこを見てほしいのか」の観点を出すのは難しいかもしれない。
その場合は、「作る際に迷ったところ」「自信がないところ」を出せばいい。

「対策を考えたものの、有効な策になっているのか不安がある」
「実行計画つくったものの、リソース見積もるのにこの粒度でいいか迷った」
「計画の時期感やタスク順序を設定したが、根拠が薄くて迷っている」
などなど、資料・たたき台を作った際に、「どうだろうか…」と思った部分はあるはずだ。自分なりに解消策は考えていたとしても、その観点を出すだけでずっとレビュワーは語りやすくなる。
かつその迷いを語ることで「ここについてはちゃんと考えてそうだな、他の観点を喋ればいいな」とも判断がつく。

 

この「どうですか」。
楽が故に多用したりしてないだろうか。だが、それなら録音再生でもできる。
「どうですか」は禁止ワードにして、どう「どうですか」を使わずに質問できるか、制約をかけて考えてみるともっといい意見をもらえるはずだ。