コンサルタントの日々学び

日々のデリバリーで得た体験、ノウハウ、教訓とかを週次ベースで書き留めていきます。

日報を書く価値と自己成長への道

「日報を書くべし」と言われた経験は社会人なら誰でも一度はあるだろう。
普段から日記を書く人ならさもしらず、
普通の人なら小学校で宿題で日記を書いて以降、
日々のことを記すなんてことやってない人が大半ではないだろうか。

 

「営業日報」「SE日報」などなど、いろんな職種・役割で日報を求められるし、
コンサルタントも「日報を書こう」と言われる。

だが、この日報が何のいいことにつながるのか、はっきり答えられる人は意外に少ない。
「習慣だから」「そういうことになっているから」
と形式的なことだけを求めると適当なことを書いたり、書くのをさぼったりしていく。
書くのに時間も労力もかかることに積極的に取り組む人は少ない。

 

私もPMになりたてのころ、メンバーに日報を書こうと求めたことがあるが
とあるメンバーが頑なに
「なんで日報なんて書くんですか」
「書かなきゃダメですか」
と日報を書くことを拒まれたことがある。
そのときも言葉を尽くし説明したが、なかなか理解を得られなかった。

 

「そもそもなぜ日報を書くべきなのか」
書く側、求める側でも認識が曖昧だと書く意味がない。
ここではあのとき拒まれたメンバーにちゃんと理解してもらえるように
この「なぜ」をちゃんと紐解いておこう。

 

まず1つにチーム内のコニュニケーションを高めるためという目的がある。
これは上長にとっての価値になる。
普段から朝会なりでやること・やったことを十分にコミュニケーションとっているかもしれないが、
外回りをしている、そもそも場所が離れて働いている、あまり会話の機会がない場合に
日報は重要なコミュニケーション手段の1つだ。
コンサルタントだと、PMやパートナークラスはプロジェクトに関与する時間は限られている、そもそも現場に顔を出す機会が限られている。
そこに「XXさんとこんなやりとりをしている」と書いてあれば
「こうしたらうまくいくかも」というレスを返したり、
「XXが間に合わなさそう」「XXさんとXXさんが険悪」など書いてあれば
フォローやテコ入れの動きも取れる。

私も以前、同じチームだが茅ヶ崎と九州でバラバラに分かれてデリバリーしたことがある。
本社・事業所の関係上、それぞれの場所で働いていたのだが
やはり物理的に離れていると会話の機会は減ってしまう。
そこに1つ、日報という情報源が増えるだけでも、どんな状況なのかが把握でいる。
またその情報から定期的に顔を合わせる場で前提情報がわかっているので
対策討議など本題にスムーズに入れる。
これは書いている本人は労力をかけている割にあまり役立っているか実感がないかもしれない。
だが、リーダーなりマネージャーとしては重要な情報源の1つになる。

 

もう1つは、日報で蓄積した行動や振り返りを将来のデータとして活用する目的もある。
これは会社にとっての価値だ。
これは会社によってやっていたりやってなかったりマチマチだ。
営業が収集・ヒアリングした情報を商品開発のインプットにしたり、
業務改革プロジェクトで「どこに時間をかけているのか」を分析して効率化を図ったりする。
ここまでいかなくとも、営業活動の新しい取り組みとその結果を振り返りに使ったり、
「こういうアクションをとるとうまくいく」というベストプラクティスを抜き出し、
組織内に共有するというやり方もある。
私が努めている会社だと、社員が自発的に勉強会やトレーニングなどを開催するのだが
この日報の情報蓄積が新しいトレーニングのインプットになる。
勉強会では
「方法論を具体的にこう使ってうまくいった」
「プロジェクトではこんなことが起こった、今後気をつけよう」
「こんなやり方を試してみたらうまくいったケースがある」
といった学びを整理して、社内で形式知化していく。
この学びを溜めるインプットが日報になる。
そのためにも日報には単純にやったことだけでなく、それでどんな結果になったかや気づいたこと、
次やるならどうするかなどをまとめておくと有効だろう。

 

最後に挙げるのが、これが最も重要な目的となるが、「自己成長」だ。
言わずもがな本人にとっての価値となる。
自分の考えていること・思っていることは「明確だ」と思っていても
実際は支離滅裂でつじつまが合わない、曖昧なことが多い。
日々やったこと、感じたこと、
「なんだかもやもやするもの」「なんとなくすっきりしないこと」を
文字にして書き起こすことで思考を構造化する訓練になる。

 

コンサルタントとしてもこれが1つの価値になる場合がある。
私の会社だと「コンセプトフレーミング」という構想策定をサービスの1つにしている。
戦略やプロジェクトをやる上でも
「そもそも何をやりたいのか」
「何が会社としての問題と感じているのか」
「何を変えるのか」
が、「考えていても」言葉になっておらず、共通認識になっていないことが多い。
それを「コンセプトフレーミング」としてキーマンが
本気で実現させたいコンセプト・構想に仕立てる。
自分の考えていること・思っていること、
「なんだかもやもやするもの」「なんとなくすっきりしないこと」を言語化する活動だ。

 

この「自己成長」を促す仕掛けを合わせて2つ紹介しよう。

1つは「やったこと」をつらつら書くだけでなく、
その活動によりわかったこと、感じたこと、本来すべきだったことを振り返ることだ。
これは「コンセプトフレーミング」を例に紹介したのでその必要性は理解いただけると思う。

もう1つの仕掛けは「懸念・リスク」という項目を必ず書くこと。
日報、なので「懸念・リスク」も毎日書く。

私が今の会社に入社した直後、同じように上長から「懸念・リスクを書くように」と求められた。
「とはいえそうそう毎日そんなにリスクはないよ」
と懸念・リスクの項目に「なし」と書いたら、こっぴどく怒られた。
「懸念やリスクがないわけがない、それはお前の感度が低いだけだ」
と。
確かにおっしゃるとおりで、どんなささいなことでも懸念なりは毎日転がっている。
「XXさんが我々の案に理解を示されない様子だった」
「中間報告に向けて間に合うかまだ不明確」
「プロジェクト内の空気が険悪な場面があった」
など、懸念・気になることであれば無数にある。
こういう感度はずっと気にしていないと上がるものではない。
日報の中で、毎日「懸念・リスク」を挙げることを習慣化して
アンテナ・感度を高める訓練にもなる。

 

こうつらつら価値や自己成長の仕掛けを挙げても
「時間がない」
と日報を疎かにする人もいるだろう。
はじめに述べた頑なに拒んだメンバーもそうだった。
言葉を尽くしてのってこなければ、ある物語で語られた次の言葉を投げかけるしかない。

 

「人は一人で勝手に助かるだけ」

 

どんなに手を貸しても、本人の意志がなければどうしようもない。
コミュニケーションが薄くなったり、社内還元できなかったり、成長できなくともそれは自己責任でしかないのだから。