コンサルタントの日々学び

日々のデリバリーで得た体験、ノウハウ、教訓とかを週次ベースで書き留めていきます。

わからない文書になるのはなぜか、あるいは型の大切さ


プロジェクトのメンバーや部下がレポートを作成してきた際にこんな記述で困ったことはないだろうか。

顧客に対して提案に行って、その結果のレポート。
「顧客から懸念があったため再提案となった」
→どこに懸念があがったのか?価格か?提案内容か?体制か?とムクムク疑問が湧いてくる。

複数社に対して発注の見積り依頼をした結果のレポート。
「今運用を見直しているところなので、その結果がわかってから見積もりを受領する」
→どこの会社についてのことなのか?運用って何のこと?それがなぜ見積もりに関係する?と首を捻ってしまう。

こんなケース以外にも仕事の場で「何のことを言っているの?」「どれについて言っているの?」「どうすると言っているの?」とわからない文章は多い。これが困るのは、第3者に共有するとなると伝わらない・誤解を招いたり、あとから時間が経って見ると何のことがかわらない・思い出せなくなるからだ。
当事者としては、背景や経緯を認識しているのでわかるのだが、他の人が見るとわからない。そのときは理解できるのだが、あとから内容を確認した際に「これなんのことだったっけ?」とわからなくなる。

コンサルティング・変革の現場では、議論した内容は図面や工程表のような形に残ることは少ない。文字に起こし、文書にしていくことが大半だ。
この文書はプロジェクトの方針や決定事項としていろいろな人の目に触れることになる。経営層であったり、プロジェクトの内容を実行する現場の人であったり。そのときに、認識齟齬が生じたり、伝わらないものだと、プロジェクトの内容を理解していただけなかったり、変革の勢いをそいだり、最悪誤解を招き意図せず反対勢力をつくることにもなりかねない。


議論した結果を文字として残し、プロジェクトの方針として定義する。認識齟齬なく伝わり、議論の場にいなかった人も理解でき、その内容に沿ってプロジェクトや変革を進めることができる。それも時間が経ってからも同じように。
これがスムーズにできるほど、プロジェクトや変革の勢いは増してく。


では、この困った文章になるのはなぜなのか?
それは、SVOC、5W1Hが曖昧なことに起因する。日本語の特質・傾向だろうが、目的語や対象が曖昧でも文書として意味が通ってしま。行間を読む、というのだろうか。普通の生活ならこれでもなんら問題はない。気心の知れた集団や課など小さなチーム単位でも意味が通るので困ることはないだろう。
だが、会社全体を巻き込んだり、数百人が関わるプロジェクト・変革の場だと話は別だ。通常は意識しなくてもよかった、SVOC、5W1Hを強く意識しないと「誰にでも伝わる文章」にならない。


意識するだけで文章が変わればいいが、なかなか体に染み付いた習慣を抜け出すのは難しい。そのときは、はじめは型をつくって、型にはめていくのが有効だ。
「文章を書く際にSVOCのフォーマットに沿って書く」
「結論は5W1Hの枠に埋めてから文章に起こす」
などなど、書く前に別フォーマットにまとめてかく、文書書くときのチェックリストを設けておくなど。
それでも型を無視したり、型に合わない内容になったりすることはあるだろう。その場合は、上長なり第3者のレビューを通し、こまめにフィードバックもらっていくほかない。

文書を書いている本人としてはなかなか辛い。今まで問題なかった書きっぷりが否定されることになるし、言葉の使い方へのフィードバックが延々と続くのだから。
だが、これが身についてくるとずっとコミュニケーションもしやくすくなるし、顧客との議論もしやすくなる。議論の中でも「何について言っているのか」「いつの話をしているのか」は参加者の中でも曖昧なことが多いからだ。それを交通整理していくと認識齟齬が少なくなり、本来議論すべきことにフォーカスでき、結論も明確になる。
コンサルタントとしてもスキル向上を図れるのだ。

実は、この文章も型に沿って書いているいる。
①こんなこまったことありませんか?
②こうなったらいいとおもいませんか?
③こうするとうまくいきますよ
④懸念点はこう対処するといいですよ
という流れだ。
私もこの型を知って、常にコレに沿って書くことで随分と文書が書きやすくなった。昔から知っている人からも「ずっとわかりやくくなった」という言葉を受けたほどだ。

型にはまることははじめは慣れずにやりづらい。
型にはまらないことで指摘を受けることは辛い。
だが、型が身につけることで以前の自分よりはずっとスキルアップする。必ず。
辛いことに目をそらさずに、できるようになった姿を思い描き、誰でもわかる文書を書くことに修練を積もう。